エファジャパンのラオス事務所スタッフ、ソンパン。
彼の祖父、チャンディ・パンタニシットさん(94歳・ルアンパバーン県出身)は、1962年に軍に入隊、「戦場」を経験しています。
エファが支援しているラオスで、かつて何があったのか。
戦争体験者のパンタニシットさんに語ってもらいました。
ラオスでの戦争体験
私(チャンディ・パンタニシット)は1928年に生まれました。
10代の頃は戦争もなく、皆が村や家で平和で幸せに暮らしていました。
1962年、母と妹を家に残し、私は、自由ラオス軍(ラオ=イッサラ、後のラオス愛国戦線・パテト=ラオ)に入隊しました。銃や武器に触るのも初めてで、多くの仲間(新兵)が、怖さのあまり泣いていました。
戦争の相手は主に、フランス軍とアメリカ軍でした。
私たちの軍隊は、森や洞窟で生活していました。村人もまた、昼間は洞窟の中に隠れ、夜に月の下で農作に励みました。昼間は空爆や機銃掃射が行われていたので、洞窟から出ることができなかったのです。洞窟が我々を守ってくれる唯一の場所でした。
毎日、毎時間、あらゆる場所が爆撃されました。フランス兵もアメリカ兵も、彼らのルールに従わなければ、動物を殺すのと同じように人を殺しました。友だちも、多くの村人たちも、その犠牲になりました。
1972年、一部地域ではまだ戦闘が続いていましたが、停戦協定が結ばれ、私はようやく村へ帰ることができました。森や洞窟に隠れていた人々も、自分たちの村へと戻りました。
私は右目を失ったことを理由に、村へ戻った後、退役を申し出ました。私の右目は今でも見えないままです。